灸とソープランド

1984年ソープランドの名称が使われるようになった!

ちょうど私が大学生のころだったはずです。

 

話題のソースは此処です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%B3%E9%A2%A8%E5%91%82_(%E6%80%A7%E9%A2%A8%E4%BF%97)

トルコ人青年の悲痛な叫びという件は、とても衝撃的でした。

 

当時まで、我が国でトルコと言えば風俗営業である「トルコ風呂(現ソープランド)」のことでした。

小学生のころから読んでいた下ネタ続出の漫画、少年チャンピオンの「ガキ刑事(がきでか)」に出てきた位のメジャーな表現でした。

子供心に、トルコという風に聞くと、風呂!の合いの手が入るくらいの感じで、国の名前と連想する人の方が少なかったくらいですね。(若い方には、あまり馴染みのないことでしょうね。)

 

1984年(昭和59年)8月に、当時の厚生大臣である渡部恒三に「トルコ風呂の名称変更」を直訴するなど、改名運動を行った経緯があり、国際問題ともなりかねない大事となる問題故、新名称を模索。

同年12月19日に赤坂プリンスホテルで会見を行い、新たな名称である『ソープランド』を発表したのが、事の経緯です。

以来、一般的にソープランドの名称が一般化されたというわけです。

多分、40歳代以降の人でないと、この事実を明確には把握していないでしょう。

 

さて、何故、灸を引き合いに出したのかと言えば、現在、謂れのない風評被害であるという共通点があるからです。

ちょっと事情は違いますが、「灸は懲罰ではない!」との持論を持つ私としては由々しき事態と感じている次第です。

 

それは、「灸をすえられる」という言い回しの表現が、「懲罰を与える意味」として簡単に使われていることです。

勿論、灸は治療を目的とした行為です。

灸を生業としている我々を含め、艾(もぐさ)製造業者も懲罰のために伝統を守っているわけではありません。

 

ところが、最近のマスコミの灸の例えは、懲罰を与えるニュアンスの表現が多いと感じます。

この表現が昔から使われているのは知っていますし、多くの場面で使われていることは承知しています。

私は、多様なことを是々非々で判断するリベラル(日本リベラルとは違います!)ですので、昔から表現されていようがいまいが、適切な場面で使われるべきであるという確固たる信念は持っています。

 

現状見聞きした範囲でいうと、灸に対して論理的な矛盾のある使い方が多く散見され、不適切な表現方法と感じます。

また、明らかに懲罰的な意味合いを込めて表現されるのは、意図しようがしまいが営業妨害そのものと捉えています。

 

ある患者さんとのやり取りで、次のようなことがありました。

私「ここは、灸をするのが一番効果的ですね。」

患者「それだけは勘弁してください!」

 

そのあとお話ししましたが、この方は、過去に灸を受けたことはありません。

この方の灸に対するイメージとして、「熱くて我慢できない」があり、懲罰として昔からあるものという認識と分かりました。

勿論、嫌がる方に灸をしてもしょうがないと思い、実施には至りませんでした。

 

灸を治療実感でなく、イメージで拒否されることにおいては、残念至極です。

また、その効果の是非で評価されていないことを思うと、かつてのトルコ人青年に共感せざるを得ません。

 

マイナーな業界故、お灸の話題をマイナスイメージでも紹介される傾向は、嬉しいような悲しいような…。

ただ、日頃生業とする者として、気持ちの良いものでないことだけは確かです。

 

次回は、多くの人が使う「灸をすえられた」という表現の適切な用法について、選挙を例に考えたいと思います。